笠松町歴史未来館
最近は外来、手術で朝から夜20時過ぎに診療が終わるまで、外に出ることが難しいのですが、午後、少しだけ時間ができたので、久々に外に出て走りました。
まずはクリニックから1キロ弱の木曽川、橋を渡って愛知県一宮市に脚を伸ばしました。
橋を降りてすぐ右手に”うどん”の文字が。
四国あたりにありそうな、クラシカルな雰囲気のお店、一度、どこかで入ってみないと。
5キロほど走った後、時間内に戻れなくなるとあれなので、方向転換、岐阜県側に戻り、笠松町を散策。
笠松町は木曽川沿いの江戸時代から続く古い街で、昔は川を利用した交通の要所、美濃地方最大の水運の港であったそうです。
写真、街中のガソリンスタンドです。
壁にESSOの文字。
大きなお屋敷の一部がガソリンスタンドになっています。
◯◯油店、という屋号、ずい分昔から営業しているのでしょう。
笠松には昔からのお寺がいくつもあります。
ふだんぐらしのとおとさ。
何気ない日常が実は当たり前ではないこと、それを意識して時間を大切に過ごしたいものです。
大きなお寺以外にも、こうした祠が街中にいくつもあります。
午後診察開始までまだ少し時間があったので、笠松町の歴史未来館に立ち寄りました。
5月15日までなので、あとわずかですが、プロペラ機の特別展示がされています。
笠松町の鈑金会社の親子が作った作品です。
この流麗な機体は飛燕(ひえん)、国産唯一の液冷エンジン(ダイムラー・ベンツのライセンス生産品)を積んでいました。
液冷であるがゆえに、スリムな胴体で、和製メッサーとも呼ばれていたそうです。
二式大艇。
実機は10年くらい前までは東京の船の科学館に展示されていましたが、今では鹿児島県の鹿屋に移設されています。
この手の飛行艇は今でも、潜水艦と並んで、海に囲まれた日本のお家芸なのかもしれません。
一式陸攻。
当時、搭載していた桜花とともに展示されていました。
2階の常設展には、現代の飛行機も。
中部地方は戦前から航空機産業で有名です。
先日も国産のステルス実験機が愛知県の小牧空港で試験飛行をおこないました。
木曽川で獲れた鮎は江戸に献上されていました。
その当時は米とともに発酵させた熟鮓(なれずし)です。
乳酸菌の発酵によりpHを下げて、雑菌の繁殖を防ぎます。
発酵とともにアミノ酸が分解されて旨み成分が増す、というのは頭でも理解できるのですが、同系統の鮒鮨や北陸のへしこ、塩気や酸味であまり量は食べれません。。。
明治6年までは岐阜県庁が置かれた笠松町、岐阜の政治の中心地でもありました。
今でも往時の繁栄を偲ばさるような古い街並みが残っています。